シリーズ 知の探究者/No. 004 三浦登志一先生(後編) 「失敗した」と思っても、結論を出さなければ、それはまだ失敗ではない
更新日: 2025/12/24
公開日: 2025/12/24
『螢雪時代』 2024年2月号より掲載
<前編から続く> 『螢雪時代』で好評連載中の超一流の先生方へのインタビュー記事、『シリーズ「知の探究者」』。
「学び」とは何か? を先生方に改めて問いかけ、受験勉強で見失いがちな「学ぶ」という行為を、本質的に考え直す機会を提示しています。今回は現役の先生に、もう一度学ぶ場を提供する「先生のための大学院」である教職大学院で指導をされている三浦登志一先生の後編です。

「失敗した」と思っても、結論を出さなければ、それはまだ失敗ではない

先生が授業の進め方や生徒指導に悩んだ時、再び学び直せる場が教職大学院。三浦登志一先生に教職大学院の役割や、ご専門の国語教育についてお聞きました。
編集協力:(有)サード・アイ 取材:金丸敦子 写真:藤井徹
前回からの続き
国語を学ぶ意味とは何か
――先生のご専門の国語科は、他の教科より学生に敬遠されていることが多い気がします。
三浦 国語の授業で学ぶことが「将来、何につながるのか」「何のために学んでいるのか」と思ったことはありませんか。教室の中での閉じた国語教育や、テクニックで問題を解く教え方だとそうなってしまいます。しかし、本来の国語教育はそうではありません。
人は社会に出れば、どんな職種であろうと、話したり、聞いたりしたことを記録し、文章に書き起こしたり、まとめたりしなければなりません。国語教育とは、そうしたことが特に意識しなくてもできるように、思考力や表現力をつけるものだと私は考えています。

