『螢雪時代』 2025年11月号より掲載
『螢雪時代』で好評連載中の超一流の先生方へのインタビュー記事、「シリーズ知の探究者」が「パスナビ for School」に登場。
「学び」とは何か? を先生方に改めて問いかけ、受験勉強で見失いがちな「学ぶ」という行為を、本質的に考え直す機会を提示しています。第二回目の掲載は、医療や介護、教育の現場に哲学の思考をつなぐ「臨床哲学」を提唱・探究する鷲田清一先生(哲学者/大阪大学・京都市立芸術大学名誉教授)が登場。示唆に富む貴重なお話をいただきました。
→鷲田清一先生のインタビュー全記事は10月14日発売の『螢雪時代』11月号に掲載されます。全文を読みたい方はこちら

「学ぶ」ためには「学びを忘れること」
常識を揺さぶることが大学での「学び」

本当に自分のためになり、生涯の糧となる「学び」とは何か。さまざまな大学で多くの学生を見つめてきた鷲田清一先生に「学び」の意味について伺いました。
編集協力:(有)サード・アイ 取材:金丸敦子 写真:石原秀樹
――「大学で学ぶ」とは、どういうことでしょうか。
鷲田 大学の4年間は専門分野を深めるにはあまりにも時間が限られています。むしろ自分の中に「もっと知りたい」「なぜだろう」という思いや疑問が生まれた時、それを探究していく方法を修得するのが大学での「学び」です。
その方法は一つではなく、問題によってアプローチの仕方が変わってきます。先生や先輩のそれぞれ違うやり方を身体で覚え、「知る作法」を勉強するのが大学です。また、学び方も一つではなく、講義を聴くだけがすべてではありません。先生も手取り足取り教えるタイプの人もいれば、職人のように一切教えないで私を見て学べという人もいます。大学は自由な関係で学ぶところです。教室の中でじっとしているのではなく、面白い先生がいれば訪ねていけばいいし、あまり窮屈に考えなくていいと思います。